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アシモフの短編「精神接触」

SF小説の巨匠アイザック・アシモフの短編に「The Deep」(邦題「精神接触」)というのがあります。
アイザック・アシモフ著/「火星人の方法」icon所収)
この人の作品はあまり内容を紹介するといわゆるネタバレになる危険が大きいのであまり触れられないのですが、状況設定くらいは大丈夫でしょう。
ある知的生命体がいて、その母星の太陽が衰退期に入って世界が氷に閉ざされたため、熱を求めて惑星の中心部に生活の場を移し、すでに数百万年が過ぎています。
彼らは今すぐではないが、種族の終焉、つまり滅亡の時が避けられないことを悟り、何世代にも亘ってさまざまな選択肢を検討し抜いたあげく、ある方法で地底から脱して新天地を求めようとします。
このプロジェクトはまさに乾坤一擲、一発勝負とも言うべきもので、これによって種族の消費するエネルギーの数百年分が失われる、というのです。
これに失敗したら二度と地表に出て空を拝むことはなく、種族は残ったわずかなエネルギーを消費しながら死に絶えるのを待つのみ。それも、今すぐではなく…。
何とも、悲壮というか、科学力があって未来が見渡せるがゆえの、宿命に対する諦観の混じった、不思議な雰囲気が漂います。
主人公はこの知的生命体の生き残りたちの世代を超えた執念と業績を一身に背負って任務に挑むわけです。
何というプレッシャー。

アシモフと言われても「ロボット三原則」という言葉でしか印象にない人が多いと思います。
犬によだれを出させた人?条件反射の実験の?
それはパブロフ。
アシモフはアーサー・C・クラークと並び称されるSF(サイエンス・フィクション)の大家で、短編であっても、結末で設定ごと覆される(読者の思い込みがひっくり返される)ような驚きを味わわされることがあります。
なお、SFというと、「スター・ウォーズ」を思い起こす方がいらっしゃるかもしれませんが、あれはあくまでもファンタジーであって、サイエンス・フィクションではありませんよね。
「2001年宇宙の旅」はSFですが、「インデペンデンス・デイ」は違います。
余計なことですが念のため。
なお、「マーズ・アタック」はSFです。
!…何か?

この設定にあるような、世代を超えて引き継がれる大事業というのは、われわれ人類(地球における最上位の知的生命体種族。たぶん)の歴史にもありますし、たとえばバルセロナなどには現在進行中のものもあります。
建造物に限らず、知的なもの、あるいは文化それ自体が世代を超えてきたと言えばそのとおりです。
ただ、現代のように「個」の重みが増してくると、なかなかそういうものは生まれにくくなってくるかもしれません。
歴史上の遺物の場合、原動力が宗教であるせいもありますが、自分一個への意識が薄く、子孫の世代にならないと到底完成しないような壮大な都市や城塞、あるいは街道網の整備等のために自分の人生を使い尽くす人たちであふれていました。
ピラミッドやマチュピチュを見て、よく、
「現代の技術を以てしても造れない。現代では想像もつかないような技術を持っていたのかもしれない」
といった表現を聞きます。
しかし、時代が進むうちに失われた技術というのは確かにあると思いますが、現代人の想像を絶するような技術がそう簡単に失われるものでしょうか。
思うに、想像を絶するものは技術自体ではなく、彼らの時間の使い方、さらに言えば「人生の使い方」なのかもしれません。
現代人には想像を絶するような大勢の人々が、巨石一個を特定の形に削り上げるのにそれぞれ人生を使い尽くしていたかもしれないのです。
その結果、数世代に亘る地道な仕事の積み重ねの末、鋭利な金属製の道具もないのに石積みの見事な建造物が出来上がったりしたのではないかと思うのです。
ひるがえって、現代。
もちろん、上記のような人生はまっぴら御免であります。
よほどの宗教的情熱がない限り、後世の人の便宜のためだけに石を磨く気にはなれません。
まして「個」が強い現代は、経済単位も「個」であって、何かを作り上げる特別な技術を持っていたとしても、それをフルに活用して今日明日生き延びるための糧を自分で得なければなりません。
文学や絵画や音楽等、知的な生産物であっても同様です。
勝負は当然自分の世代、一代限りです。
何を作ったにしろ、生きているうちに評価されなくては何の意味もありません。
シューベルトは友人たちが養ってくれて作品を残し、死後に不朽の名声を得ましたが、現代では養ってもらえず野垂れ死にのうえ、作品も作れないかもしれません。
目先の成功がとにかく大事であり、ブラームスのように最初の交響曲に20年以上を費やす余裕はありません。
また、自分が作り出したものははっきりそうと宣言して、収入を得る権利をしっかり守っていかねばなりません。
知的財産権の重要さは言うまでもないことではありますが、ミッキーマウスのように巨額の利益を生む作品ともなると、国家を挙げて法改正を繰り返した末、その権利が百年を超えたりしてしまいます。
もしミッキーマウスに著作権がなく、世界中のたくさんの才能がそれこそ世代を超えて自由に改良・添削できたとしたら、もっとすばらしいキャラクターになっていた、あるいはなってゆくかもしれません。(本当は、そんなにかわいくないと思いません?あのネズミ。)
ここに現代における、有形無形の作品の限界があるような気がします。
世代単位の「個」と、世代を超えた「共同体」の、どちらのために人はものを作り出すべきなのか。
どちらか一方に結論を置くことはもちろんできないし、すべての個体には生きている時代や場所の制約が必ずあるものです。
ただ、私たちの時代に生み出されたもの、たとえば音楽作品で、百年後も聴かれているものはおそらくほとんどないでしょう。
それがミリオンセラーであったとしても。
百年も経てば、そんな曲は何万曲もあるわけですから。
生きているうちに、つまり一代のうちに評価された作品の運命はそんなものでしょう。
それでも現代人としては、それで糧が得られたので満足すべきなのです。

さて、地底の知的生命体たちにとっては、「個」の成功より、共同体、いや種族そのものの存亡の方が重要な歴史的段階に至っていたようです。
ここまで追いつめられて何かを作り上げていく壮大な事業に携わるというのは、一個体の生き様としては意外と甘美な感覚なのかもしれません。
人類の数百万年後に思いをいたしながら。

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タグ: 音楽SFアシモフ映画クラークブラームスシューベルトピラミッドマチュピチュ

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参考文献 アーサー・C・クラーク『決定版 2001年宇宙の旅』 (全面改訳版) ISBN 415011000X ―― 『失われた宇宙の旅2001』 (草稿など) ISBN 4150113084 ジェローム・アジェル 『メイキング・オブ・2001年宇宙の旅』 ISBN 4789712753 ピアーズ・ビゾニー 『未来映画術「20

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ヨハン・ミズヴィッチ

Author:ヨハン・ミズヴィッチ
33歳にしてクラリネットを始める。
どんな曲でも楽器仲間の編成に合わせて編曲してしまうのが趣味。
巷にあふれるBGMが大の苦手で、もっと生演奏が街中で聞かれないかと願っている。

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